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かっこいいにんげんになりたい

かっこいい人間になりたくて社会でもがき苦しんでる人の雑記です

私の好きなものばかり攻撃される件


 初めに、私は漫画アニメ等のコンテンツが好きだ。二次元というやつ。


そして、これらのコンテンツはなにか問題が起きた際の攻撃の対象になりやすい。
今日はそのことについて文句を書き連ねようと思う。




――――

ポケモンGOに罪はあるのか

 先日、友人と今流行りのポケモンGO(以下ポケゴ)について会話していて引っかかったことがある。


「ポケゴをプレイ中に、不法侵入という罪を犯した場合に悪いのはポケゴである」


大体の人間がこう思うのだろう。言いたいことはわかる。

ポケストップが私有地に配置されているから、ポケモンが侵入禁止区域に出現するから…だからゲームが悪い。



本当にそうなのだろうか?コンテンツに罪はあるのか?

私はそう思わない。コンテンツに罪は無く、プレイヤー側にだけ罪があると考える。




本当に両方に罪があるのか

その友人は「ポケゴが存在しなければ不法侵入を侵さなかったのだから、ポケゴに罪がある。プレイヤーにも罪はあるけどポケゴも悪い。」という。


なにか物事が起こった時に、何かと関連付けて原因を究明したがる人はたくさんいる。

しかし、ここに本当に関連性はあるのだろうか。


ゲームをプレイする、プレイしない。
法律を破る、破らない。

この、別々の意志による個人の行動を混同してはいけない。




ならば全て等しく攻撃してくれ!

そもそも、ゲームにもプレイヤー側にも罪があるという説が正しいのであれば、以下の問題を引き起こすアレコレも散々に攻撃されるべきなのだ。


・河川にゴミの不法投棄を増やす花火大会
・飲酒運転で事故を起こすきっかけとなったアルコール類
・殺人事件の供述に登場するかっとなった瞬間に手元にあった刃物


上記に関してはなぜか当たり前に罪を犯した人間だけが非難される。



「ゴミを捨てる人が悪い」
「飲酒運転をする人が悪い」
「殺人をする人が悪い」


なんと驚くことに、三点目に関しては容疑者の自宅にアニメのポスターがあったという訳の分からない情報が関連付けられて報道されることもしばしばある。




まとめ

罪を犯すのはいつだって人間だ。

コンテンツを生み出すのも人間だ。

そのコンテンツを使用するのは人間だ。





利用する側が意思のある人間である限り、コンテンツに罪はない。私はそう考える。

―――――――――















追記

そもそも私がこの記事を書こうという原動力になったのは、私の好きなものばかり皆で寄ってたかって攻撃しないでくれ!!という、いかにもオタク思考が爆発した結果である。(気持ち悪いのは重々承知だ)







ポケモン赤版が私の初めてのゲームであり、カタカナの教科書はポケモン図鑑だった。



この思い出のゲームが十数年の時を経て、最新のアプリとして復活した。

世界中で愛されていることをアプリのDL数で目の当たりにする。
世界中の人が夢中になってモンスター達を捕まえている。
街を歩けばあちらこちらでトレーナーを見かける。



あの頃夢見たゲームの世界が現実に来た―
本当に嬉しいと思った。






私自身、創作という行為が好きで、学生の頃は有志と絵の展示会なども企画した。

だからなのか、ゲームや映像作品、書籍などの作り手のことをよく考える。





このゲームの製作に関わった人たちはどんな想いを込めたのだろうか。

クリエイティブ系と言われる職はどこもかしこも激務だそうだ。そんな中でどれほど命を削ったのだろう。どれほど努力して技術を手に入れたのだろう。



人の想いが詰まったコンテンツに、勝手な罪や悪意を上書きしてはいけないと思うのだ。あまりにも悲しい。



立ち位置上叩きやすいから、理解出来ないから、なんて勝手な理由で攻撃することは許せない。


どうか私の愛する作品を―キャラクターを、世界を、思い出を―攻撃しないで欲しいのだ。





本当に悪いのは何かを、思考停止しないで見つけ出してくれ。責任転嫁で安心しないでくれ。




あ、あと、理解した気になって踏み込んできて、勝手な善悪の判断で規制するような人達も私は苦手だ。






私はゲームで、色々な人やモンスターが生きる世界にたくさんの思い出を作った。(家族や友人と対戦した格闘ゲームなども大切な思い出だ)

漫画や小説で色々な物語を追体験した。

アニメで活き活きとしたキャラクターに心を奪われ、時には泣いたり笑ったりした。







私は一般的にオタク文化と言われているものが大好きだ。

だからどうか、情熱や色々な想いが自由に詰め込まれた作品が、愛されて愛されて末永く続いて欲しいと心の底から願う。

(終)