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かっこいいにんげんになりたい

かっこいい人間になりたくて社会でもがき苦しんでる人の雑記です

やりたいことが出来ない3つの理由

「やりたいことやってみればいいじゃん」

と、やりたいことをやってる人間は簡単に言う。

そりゃそうなんだけど、それが出来ていたらこんなところでグチグチと長文を書き連ねていない…。

 

頭の中で出来ない理由が延々と沸いては消えを繰り返しているので、ここに一度書くことで悩みの輪廻を断ち切ろうと思う。

 

 

やりたいことが出来ない理由

 

1、やりたいことが分からない

 そう、そもそもやりたいことが分からないのである。でも今の仕事や環境には満足していない。何か他にやりたいこと、やらなくてはいけないことがあるような気がしている。

 

文章にするととんだ現実逃避野郎でしかないが、これは切実な悩みなのだ。恐らく同じ様な状況の人には分かってもらえると思う。

小学校の頃はちゃんと夢があったはずなのに、いつからか夢も野望も行方不明だ。

 

 

 

 解決策としては、幾つかの書籍にあったやりたいことを見つける方法を何回か試して見つけていくしかない。

 

1、必ず成功することが約束されていたら何をやりたいか?

2、人からの批判や周囲の事を一切考慮しないときに思い浮かぶやりたいことは?

3、一生困らないお金、地位、名声が手にはいるとしたらやりたいことは?

 

何をやりたいか分からなくなっている人は、きっと周囲の期待に応え続けてきた人ではないかと思う。

親を悲しませたくない、迷惑をかけたくない、失敗したら恥ずかしい…これらを考えなかった時に、自分が本当にやってみたかったことは、やりたかったことは?

 

一度では思い浮かばないかもしれない。その日の気分や体調も関わるので、日を変えて何回か繰り返す必要がある気がする。

 

 

2、やりたいことをやるのが怖い

 怖い理由は二つある。

一つは、今安定している環境を捨ててその道へ進んだときに、何を失ってしまうのか検討がつかない。

二つ目は、やりたいこと(=興味のあること、好きなこと)を仕事や、生きる術にしたときに、今の仕事のように嫌いになってしまうのではないか。

 

 

 

一つ目に関して。失うものの具体例は、金、休暇、地位、自信、健康、希望、保証etc.

 

給与が減るならば、どこまで生活レベルを落とす必要があるのか。生きていけるのか。

休暇が減るならば、健康を維持できるレベルなのか。仕事を続けられる生活が送れるのか…。

 

保証や健康も難しいところだ。

例えば、起業するとなればその会社がいつまで存続出来るのかは自分の腕にかかっている。退職金も無い、有給も無い。保証はゼロだ。

そこそこ安定した企業のサラリーマンならばそんな不安は無いだろう。

これらの不安は、道を変えるときに切っても切れない要素であると思う。多少は目を瞑るか、少しでも最悪の事態を回避できるように情報を集めるしかない。最低のラインを決めて、妥協点を探る。

 

 

二つ目に関しては、上記にあげた、自信や希望を失うことに近い。

 

やりたいこと(まだやっていないこと)を実際に仕事にすることで、自分の能力の無さから自信喪失したり、希望が無くなってしまうのではないか。

考えに考えて出した、唯一のやりたいことが嫌いなことになってしまうのではないか。その後に私に残るものはあるのか。

やらないからこそ、やったら出来るという可能性の中に生きていられるので延々と希望を作り出せる…この状況を抜け出したいけど抜け出すのが怖い。

 

これに関しては勇気を出すしかない…と思う。アドラー心理学について述べられている「嫌われる勇気」にもにたような事例が述べられている。

勇気を出す、とだけ言うと根性論であり何も解決にはならないので(そもそも勇気があればもうやっている)、解決策を練る。

 

例えば、サラリーマンと両立しながらやりたいことがやれるなら、利益が出るレベルまでもう少し本腰を入れてやってみる。

会社員からプロブロガーへと転身した人の例で、通勤時間にコツコツと記事を書いて収益が伸びてきたあたりで本職にしたという記事を読んだ。

 

起業するなら、具体例なビジネスプランを練ったり人に相談するなど。

資格が必要な職業への転職を目指すなら、資格取得のために今より多く勉強時間を取るなど。

 

どれも時間や気力が必要だが、やはり今いる状況から飛び出すためには多生の労力は必要だ。人生は等価交換だ。跳ぶためには膝を曲げなくてはいけないし、地面を蹴らなくては。より高く飛ぶためには腕を振り上げなければいけない。

 

 

 

3、現職で精一杯で行動する元気がない

 休日は目覚めれば昼、耐えきれない睡魔に負けて二度寝をすれば夜…そして月曜日へ。平日は仕事から帰れば日付が変わる、どんなに早く寝ても数時間しか寝られない…。

休日は恋人や友人との予定で過ぎ去る。平日は付き合い残業や、同僚や上司との飲み会で終わる。など。

現職と並行してやりたいことやってみるなんて体力無いよ!!!でも毎日満たされなくて虚無感と戦っているんだよ!って状況。

 

 

仕事に忙殺されている場合は、思い切って辞めるか時間を作るためにとりあえず転職する!…とはいかない。それが怖いのだ。分かる分かるよ…それが出来てたら苦労しないもの。

 

仕事を少しでも早く終わらせるために工夫する、SNSを閲覧する時間を減らす、睡眠環境を改善して短時間で回復できるようにする、体力をつける、会社の近くに住む、朝起きたらカフェイン剤を飲む、瞑想などを取り入れて脳みそが疲れない工夫をするetc.

これらをやる元気があれば早くやれって話なんだけど、やる元気が無い人は病院行った方が手っ取り早いのかもしれない。

とりあえず私はやろうと思う気力があるので、SNSを閲覧する時間を減らそうと思う。休日のカフェイン剤は今思いついたので今度試します。

 

 

友人や恋人や同僚との予定で時間が無くなる場合。あるある。

自分も、孤独が怖いのでついつい約束を断りきれずに自分の時間を犠牲にしてしまいがちだ。約束を断ったら孤独になってしまう、嫌われてしまう、次回から誘われなくなってしまう、評価が下がる…。

 

会社関係の誘いはなるべく断っていこう。さすがに送別会等の飲み会は断りにくいが、それ以外の小さな飲みは断る。頑張って断る。

そもそも会社を辞めたい、仕事に満足していないなら、転職した場合に今後この人達と関わる事は無くなるのだ。評価が下がって仕事が減れば早く帰れる。バンザーイ。

この時に周囲から受ける批判や蔑みは頑張って耐える。耐えるしかない…。

 

恋人や友人の予定が断りきれない場合、転職したい旨をちゃんと話しておく。そのために時間が必要だと説明する。

疎遠になってしまったらしょうがない。自分が求めるのが、人との繋がりなのか新しい環境なのか天秤にかける。

 

何かを得て何かを失う。何を選択するのか。

よくあるRPGゲームのクラスチェンジみたいで、剣士がクラスチェンジをしてより強い剣士になるのか、ジョブチェンジで魔法使いになるのか。あるいは魔法剣士になって魔法も剣もそこそこ使えるようになるのか。

 

人生はゲームだとか言うけど、セーブも何も出来ないし傷つけば痛いし本当にクソゲーすぎる…。

 

 

とりあえず思いついた解決策を試していく。ちゃんと文として書き出せば前向きに冷静になれる。

ではまた、おやすみなさい。

会社と寝床の往復

朝起きて、電車にのって、仕事して、帰ってきて、寝て、朝起きて…

 

 弊社は残業時間が厳しく取り締まられている。協定厳守。残業代も出る。ホワイト企業だね。

 

しかし、月40時間程度の残業でもこの有様なのだ…。会社と寝床の往復だ。会社と家の往復ですらない。

世の中に聞く、月残業100時間超えの人達は一体どういう生活を送っているのだ…?そりゃあ速攻で精神を病んでも全く不思議ではない。むしろ病まない方がおかしい。

 

私は現在、通勤に片道二時間弱かかっているので、それもやたらと時間が無い原因の一つだ。

 

月40時間といっても、30分単位でカウントされるタイムカードだから実際はもう少し多いだろう。残業はしたくないが、仕事は延々と上司から湧いて出る。常に仕事を「殺られる前に殺る」精神で倒していかないととてもじゃないが立っていられないな。

 

 

 

 

 

少し話は変わるが、思い出したので書く。

 仕事の終盤、体力の限界で顔を赤くして職場を走り回っていたら「体力無さ過ぎだろw」と草を生やされてしまった。冗談だろうか。

それでもやはりここに馴染むのは無理なんだなぁということを、再認識させられる言葉だった。

 

私は、冗談というのはある程度の本音が混じっていると思っている。

そもそも頭に浮かばない言葉が口から出てくるはずがないので、人を馬鹿にしたり攻撃したり蔑む冗談は、その人の頭の中にある本音の言葉なのだ。

 

確かに、本気で相手に伝えるつもりはないかもしれない。意識の上では、そう思ってすらいないかもしれない。

しかし、その人の頭の中に浮かんだ言葉なのだ。その人から出てきた言葉なのだ。それだけが全てだ。

 

冗談が通じない相手だ、とか言って攻撃してくる人間もいるけど。そもそも、あなたが思った言葉だろう?冗談もなにも、こちらが一瞬でも不快な気分になったらそれは冗談ではない。冗談のラインはどこにあるのだろうか?

 

社会人になり、生きる意味を失い、自己嫌悪する毎日に疲れ、前まで受け流せた冗談が受け流せなくなっている。

この人は私を攻撃している、攻撃しようとしている、貶めようとしている、蔑んでいる…冗談に混ざる棘に、少しでも引っかかるとそう思わずにいられない。

 

みんなの、じゃれあうための楽しい冗談を楽しめればいいのに。そもそも私も人に冗談を言うような人間ではないから分からないのかもしれない。

 

 

しかし、今まで学生生活やアルバイトを経て、こんなに引っかかる冗談に日常的に触れるのは初めてだ。今までも言われていたけど気がついてなかっただけか?

色々なことに違和感を感じながら生きている毎日だ。自分はどこへ行ってしまったのだろうか。

 

 

今日の夕飯はさけるチーズでした。もう寝ます。おやすみなさい。

鼻うがいは難しいぞ

 

今日は仕事で吸ったホコリと、ぼちぼち本格的に飛び始めたらしい花粉のせいで鼻詰まりまくり。

 

 

 

そこで、この間買った市販の鼻うがいセット(小林製薬ハナノア)を使おう!と意気込んで注入。。。

 

 お、本当に痛くない。すごいぞ。

 

 

しかし、通っている鼻から注入したものの、口からもでない反対の鼻からもでない…。

だんだん目の奥が痛くなり…(?!やばいこの液体は行き場をなくしたらどこへ行ってしまうんだ?!)と焦って中止(笑)

 

 

調べてみたら、鼻づまりがあるときは鼻うがいしてはいけないそうです。奥にたまった液体が耳管に入り中耳炎になってしまうんだとか…。やっちまった…

 

 

そんなこんなで、なんとか鼻の奥にある液体感、違和感を無くすためにあらゆる姿勢になって液体排出を試みている。明け方四時。

もう諦めて寝てしまおうかな…うーむ。。

 

 

 

(鼻うがい、鼻から入れて口から気持ちよく排出するにはそうとうのコツが必要なようです。というか、素人が勝手にやると中耳炎になりやすいから医師はお勧めしないんだそうだ。)

「休日は一日中寝ています」

また一日中寝てしまった…。

 

人に「一日中寝ていた」と話すと、そんなまさかと疑われるけど本当にそのまさかなのだ。

 

24時間一度も目覚めずに寝続けるというのはさすがにない。

前日は深夜二時頃に寝て、早朝にまず一度目をさます。これは仕事への遅刻の恐怖が染み着いているのでしょうがない…。そして二度寝

昼頃にまた目覚める。トイレへ行く。寝る。夕方に目覚める。とりあえずスマホをいじる。そのまま寝る。夜にまた目覚める。夕飯を食べ、寝る。日付が変わる頃に起きる。シャワーをとりあえず浴びて、また寝る。浅い眠りの中でうっすらと途中覚醒しながら朝を迎える…。。。

 

予定が無い休日はこんなんである。。でもこういう日がないとある時突然ぼろぼろ泣けてくる。何もしないで寝るのが一番良い。

三度寝過ぎあたりからは、なんとなく幸福な気分の夢を見る(内容は覚えてたり覚えてなかったりする)。だからきっと、何かしら脳味噌には必要な時間なんだと思う。

しかし私自身としては、時間が丸っと消費されてしまうのでどうにかしたいところだ…

 

運動してもただただ回復時間が伸びるだけで、睡眠の質が~という訳でもなさそう。うーん、どうにか短時間で、あるいは8時間程度ですっきりとした気分になりたい…

正体不明のトラウマと向き合うことで得る怒りエネルギー

この本を読んだ。

"それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?: あなただけの超簡単な言葉を唱えるだけで“いまここ”で楽になる!"(大嶋 信頼 著) : http://a.co/3gC3WtK

 

 

 

いつも人の目を気にしてしまったり、人の言葉が行動指針になって自分が何をやりたいのか分からなくなる…この状態が、性格からくるものではなく何かしらのトラウマによるものではないかという説が述べられていた。

 

 

トラウマ、と聞いてはっとする。

私には心当たりがあり、小学校の頃に親友にある日突然理なく絶交を告げられた。それまでは人の目を気にせずやりたいことをやりたいだけやり、誰かに嫌われても攻撃されてもその親友がいるから大丈夫!という精神状態だった。

 

当時、周りの人間がどう思っていたかは知らないが、周囲の大人からの評価は良かった。親友といつも二人きりだったのでグループには属さなかったものの、友達も多かった。

なにより私自身、毎日楽しかった記憶が強い。

 

しかしある日突然唯一の親友を失った。本当に唐突だった。細かく言えば、突然では無かったかもしれないが。

教室移動で声をかけなかったとか、他の子と話していたとか、そんな小さな事がきっかけだったと思う。

 

 

それからは、私は教室で一人だった。普通に話せる友達もたくさんいた。しかしいざというとき、グループや特定の決まった集団に属せないというのは、小学校の一クラスのような小さなコミュニティでは大問題だった。何をするにも孤独がつきまとう。

グループに所属していなかったので、ぼっちにならないために色々なグループを転々とする。嫌われないために他人の顔色を伺う。孤独よりはマシだからと、好きでもない人間と行動する。たまに鬱陶しがられても、孤独になるまいとしがみついていた。

 

それからなんとなく、その行動指針が染み着いて離れない。孤独が怖い。人から突然拒絶されるのが怖い。蔑まされ、締め出されるのが怖い。

 

 

 

本書では、そういったトラウマを克服出来るような考え方や行動方法が載っている。

ただ、本書によると「その人自身の本当のトラウマは記憶から抹消されているので思い出せない」らしいのだが…。

本当のトラウマに関して思考せずに済むように、嫌な記憶が上書きされている可能性があるという。(私で言えば、思い出される上記のエピソードは偽物のトラウマである)

 

 

本当のトラウマは、2歳までに受けた虐待によるものが多い。

暴力も受けず、愛されて育ってきたからそんなことはないと思っていたが、精神的ネグレクトという可能性があるということに驚く。

世話もするし愛情もあるが、生活面等で親に精神的な余裕が無いまま世話をする。この不安が子供に無意識に伝わる。子供はこの無意識を受け取り、死の恐怖としてトラウマ化する…。

 

 

 

トラウマを克服するために、今まで逃避してきた本当のトラウマと向き合わなくてはいけない。

自分が人の目を気にしたときに、孤独の恐怖があるというのをしっかりと自覚する。その恐怖に浸る。これを繰り返していく。

詳しくは本書内に記されているので、気になったら読んでみることをおすすめする。

 

 

 

このトラウマと向き合う方法を意識して続けて二週間程たった。なんとなく、自分を取り戻せている気がする。

人の目を気にしたときに、ちゃんと恐怖を見つめると、その後余計に人の目を気にすることが少なくなっていく。そして自信が生まれる。自己肯定感が生まれる。

 

 

今まで仕事に忙殺され、疲労と絶望で寝たきりになっていたが、今はちゃんと嫌なものは嫌だと意識できる。

嫌なものを嫌だと思っていいんだ、と、自信がつくと不思議と元気になれる。元気になれる…というか、私はいま仕事に対して怒りが沸いてしょうがない…

 

今まで何かに対して、自分が怒りを感じるなんておこがましいなどと思っていた。人に話すとそんな考え方があるかと馬鹿にされるが、本当にそう思っていたのだ。

何かに怒りを持つことは対象から遠ざかること、遠ざけることに直結し、孤独を恐れていた私はその感情を亡くしていたのだと考える。

 

でもちゃんと嫌なものは嫌だと思えるようになると、嫌なものや理不尽なものに対してしっかりと怒りが沸いてくる。ああ、みんなこうやって怒っていたのか~と感動したりする。

今まで無気力になっていた分が怒りのエネルギーに変わる。怒りの感情は疲れるが、無気力で何も沸き上がってこないよりは生きている実感がある。

 

私は生きているんだ…。嫌なものは嫌でいいのだ。何かに怒ってもいいのだ。

 

月曜日の朝が憂鬱でどきどきする!

これが恋かな!!

 

 

 

 

 

 

仕事休んで寝ていたいです。こんなに心臓どきどきするのは初めてだ~ちょっと怖い。短距離走走った後の脚の脱力感が続いているかんじもある。力が入らない。

結局心療内科行けなかったし…そしてまた自己嫌悪へ…。。最悪な悪循環ですね。かまってちゃんみたいで気持ち悪いぜ自分。吐きそう

○○が好き!は本当にそう思っているのか

「○○が好きでなくてはいけない」

「○○が好きな自分になりたい」

「○○が好きな人が好き」

「○○が好きな人がかっこいいと思えるから」

「○○が好きであるべき」

「○○が好きだと好かれる」

「○○が好きだと評価されるから」

 

 

だから○○が好き。

 

 

 

 

 

 

 

↑の理論で好きになろうとしてるもの、本当に好きなものだろうか。

 

絵を描くこと、歌を歌うこと、ものを作ること、着飾ること、動物を愛でること、文を書くこと、本を読むこと、お話を作ること、写真を撮ること、漫画を読むこと、漫画を描くこと、旅行に行くこと、映画を見ること、ライブに行くこと、グッズを集めること、裁縫をすること、テレビを見ること、死に物狂いで仕事をすること、常に全力疾走していること。

 

 

 

私は絵を描くことが好きだ。

綺麗で細やかな絵を描くイラストレーターはかっこいいし素敵だ。確かな画力で二次元の存在に演技をさせる絵をアニメーターを尊敬する。

だから私は、人気のイラストレーターの様に素敵な絵を好きであるべきで、絵を動かすアニメーターに憧れている、と本気で思っていた。でもなんだか少し違うのかもしれないと最近気がついた。

 

キャラクターの過去や性格や背景を考えること、ぐしゃぐしゃと汚い絵だけど考えたことを吐き出すために勢いよく描くこと、そういうことが好きなのかもしれない。そして、絵だけじゃなくてアクセサリーや小物類の雑貨のデザインを考えて作ることが好きだ。写真を撮るのもワクワクして好きだ。

 

 

 

いまや簡単にTwitterで好きなアーティストの生活や考え方に触れることが出来る世の中になった。好きなことを仕事にしている人がたくさんいて、そういう人ばかりをフォローしていた私は自然に、

「この世には好きなことを仕事にしている人しかいないのでは」

「好きなことは仕事になるようなことでなくてはいけない」

「一つのことに熱意を注いで取り組まなくてはいけない」

…という恐ろしい考え方に捕らわれていた。

 

 

好きは一つでなくてはいけないものではないし、色んな事をやってもいい。仕事になんかしなくてもいい。いつか何か一つが仕事になって、それで飯を食っていけたらとても幸福なことだ。ただしそれは、好きに正直に生きて真っ直ぐ生きてきた人がなれるもので。

私はどうやら、好きなものを利用して人に好かれようとしたり、承認されたいという思いが入り込んでいたようだ。純粋に好きなものを見つけていなかったし、封印してきたようにおもえる。

 

だからこれから、少しずつ、人に好かれなくても評価されなくても好きなものを見つけていく。まだ間に合うかもしれない、まだ間に合うかもしれない。前を向きたい。